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[寄稿]親について思うこと

こんにちはyota (@yota_28351)です!

今回は「学歴について考えるところと私の経験」と「高学歴の子供と低学歴の親」を寄稿してくれたKさんが最後の「まとめ」としてこの記事を書いてくれました!

今回の内容は僕のブログでも話題にしているような内容が多い感じです。

例えば、「論理的思考」とか「進学と経済力」などなど。

僕のブログより分かりやすく読みやすくなっております!

親について思うこと

前回の寄稿で私の家庭について触れましたが、おさらいです。

家族の学歴は父親は高卒、母親は短大卒、私を含めた子は院卒や大卒という家庭です。

親よりも子の方が高学歴な家庭となったわけですが、家族内でも学歴差による(と思われる)課題を感じることがあります。

今回の寄稿では、その課題について考えるところをお話しします。

私は大学(4年)を卒業後に大学院(2年・修士課程)へ進学し、大学院修了後(大学院は卒業ではなく「修了」といいます)に就職しました。

4年間の大学生生活を過ごした大学から他大学へ進学しましたが、大卒後に就職や浪人をしていないため学部4年+院2年の計6年間の学生生活を送りました。

大学院生生活は学部生生活の延長線上のような感じです。

さて、この6年間では一般教養、専門科目等々様々な授業を受けレポートを提出したり、試験を受けたり、ディスカッションやプレゼンをしたりしましたが、その中で一貫して「論理的思考」が求められました。

レポート然り、プレゼン然り、話を展開していく際には、根拠を明確にし論理的な文章を組み立てることが求められるのです。

○○は××だと仮定する場合や何等かの定義を用いる場合には、誰がいつ書いた論文(著書)のどの部分に依拠しているのかを明記します(他人の文章や研究結果を引用する際は出典を明記しないと剽窃になってしまうのです)。

その上で、リサーチクエスチョン(調べたいこと、疑問に思うことなど研究のテーマになる問い)、仮説、検証の方法、結果、考察・・・・といった具合で文章を組み立てたものが論文です。

この論文は、大学の卒業研究や大学院で執筆することになるのですが、論文を書くための論理的思考は大学入学後からレポートやプレゼンなどで日々訓練され鍛えられたものだったと感じています。

この論理的思考は大学、大学院での6年だけでなく社会に出てからも役に立っています。

たとえば何等かの課題について検討したり議論したりする際に、問題を細分化し、それぞれをどのように解決するか検討したうえで最終的な結論を出すという大まかな筋道を念頭に置いたうえで話し合いに臨むことで、脱線を防ぐことができますし、問題解決を目ざす際に有効な建設的な話し合いにも通じます。

言い換えれば、論理的思考のトレーニングを経験したことで問題が生じた際に、感情論を持ち出したり、相手を非難したところで解決に近づくとは思えないと考えるようになりました。

怒りやいらだち、悲しみ、驚きなど様々な感情があることは当然です。

しかし、感情を言葉にしその上で何に対してどう感じたのか、どう考えたのかを整理していくことで、何が問題なのか、どうしていくことができるのかなど解決方法や方略を模索する話し合いが出来るのです。

・・・・と書いていると、非常にドライで冷淡な人間だと思われるかもしれませんね。

誤解のないように付け加えますが、種々の感情を否定するつもりはありませんし、沸き起こる感情があること、気持ちの整理には時間を要したり、話を聞いてもらうなど他の人の力を借りる必要があることは十二分に理解しています。

前述した話し合いは、クールダウンし気持ちの整理がある程度できたところから始まるものだと考えています。

前置きが冗長になりましたが、論理的思考は大学で学んだことの一つです。

この思考を学んでいるか否かの差を家庭内で感じたことが多々あります。

大卒のきょうだいとはこのような思考を共有しやすく、問題提起、現状の整理、代案、方法と順を追って検討していく話し合いがしやすいのですが、父親とはそうではないと感じることが多々ありました。

父親と話している際に、問題点が明確にならず、何について議論したいのかがぼやけたり、怒りの感情をただただ表出されたり、一方的に誰かを悪者にしたり…とただの愚痴や悪口で終わってしまうこともありました。

「どうしたらいいの?」と尋ねても代案が出てくることはありません。思い通りにならないから怒る、相手を蔑むでは何の解決にも至りません。
これは低学歴だからという理由だけではありませんが、問題の整理をし、その上でどうするのが良いのか考えていくという論理的思考が培われていないことも一要因かと思います。

大学や大学院で学んだことは何も学術だけではありません。論理的な思考、建設的な話し合いなどそれらの素地がない親との会話で労力を費やすことがあるという点に学歴ギャップの一片が垣間見えているように思います。

「まとめ」

今から30年以上前は昨今よりも「学歴社会」であり、進学していい仕事に就くことが社会的な価値として広く認識されていました。しかし、バブルが崩壊したり、不景気な時代が長く続いたり、リーマンショックにより再び就職氷河期が訪れたりしているうちに「学歴」の価値も変化してきました。

とはいえ、今でも多くの職で高卒や大卒であることが求人条件になっていることから、専門学校や大学、大学院の進学率が大きく低下するといった現象はまだ生じていないようですが…

前々回の寄稿の繰り返しになりますが、私は「高学歴」そのものに価値を見出し進学したわけではなく、「専門職に就きたい→資格を取らなければならない→資格試験を受けるためには大学院に進学する必要がある」という、職業選択の可能性を拡大することを目的として進学した一人です。

そのため「院卒の女性」が社会でどのようにみられるか、社会的にどのような価値があるのかといったことについてはあまり深く考えずに進学をしています。

結果、大学院に在学中や修了後に想像もしなかった体験をすることになったのですが。

幸い、大学院に進学、修了後に専門資格を取得、専門職として就労するという目標を達成したため、それらの体験は進学を悔やむ理由には到底なりません。

高学歴の親が子に進学をすすめるのは、進学によるメリットを実感しているからだと思います。

進学がデメリットだらけであれば子に進学を勧める親はいないでしょう。

私やきょうだいは、奨学金やアルバイトの収入で大学の学費を賄いましたが、親が高学歴であり就労していれば、子の教育資金を捻出する経済力もあるでしょう。

学費と含む教育費は、投資です。

子が大卒後に就職すればこの投資はある程度回収できることを親自身が分かっているために投資に乗り出すことができるのではないかと考えます。

私は自分の経験から、親の学歴が高くない家庭でも親が子に進学することの意義を伝えることは子の進学意欲にかかわると感じています。

専門学校や大学の学費は決して安くなく、進学には経済的な問題も付きまといます。

しかし、高卒で就労できる仕事もあれば、大卒でなければ就労できない仕事もあります。

また、社会人になってから資格取得を目指すと仕事の合間に勉強することになります。学生の頃であれば、社会人よりも時間を作りやすいというメリットもあります。

もろもろ挙げれば他にもメリットはありますが、一方でやはりデメリットもあります。

その一つが家庭の経済的な課題ですが、進学を経済的な事情を理由にあっさりと諦める前に一度じっくりと検討してみる価値はあると思っています。

最後にyotaから

Kさんは「高学歴目線」で寄稿をしてくれました。

僕が思うには「学歴の価値」は親に学ぶか自分で学ぶしかないと思うんですよね。

いくら親が必要だと伝えても、本人の人生には必要ないかもしれないし、親が「学歴は必要ない」と伝えても必要な場合はあるでしょう。

Kさんの記事は非常に参考になるのでぜひ、まとめて読んで見て下さい!

おわり。

学歴について考えるところと私の経験」「高学歴の子供と低学歴の親